偉人

河村瑞賢の生涯と業績 その3

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江戸時代の海運

幕府による五街道(東海道・中山道・奥羽街道・日光街道・甲州街道)の整備よって人や物の移動はスムーズに行われるようになり、街道の整備以前と比べると陸上輸送も盛んになった。しかし、大八車や牛馬で運べる貨物の量は限られており、また江戸中心部以外では道幅も広くないことから大量の貨物輸送には不向きであった。

大八車や馬ではどれくらいの米俵を運べたんですか。

大八車の大きさや運ぶ人数にもよると思うけど、米俵1俵が約60kgだから、3人で米俵10俵くらい運べたんじゃないかな。馬1頭だと2~4俵くらいかな。

一方、船の大型化と航海術の発達により海上輸送大量の貨物を運ぶことができた。江戸時代の海上輸送は経済を支える重要なインフラであり、それを担っていたのが弁才船であった。

弁才船
1本の帆柱に1枚の帆が張っている外観の大型木造帆船。
江戸時代後期には米を千石(重量は約150トン)積載できる弁才船が広く普及し、千石船と呼ばれることもあった。

弁財船の利点
・ 建造費用は比較的安かった。
・ 帆の操作は轆轤(ろくろ)と呼ばれる人力巻き上げ機を使って船上できたため、帆柱に登る必要がなかった。
・ 逆風時の帆走性能に優れていた。順風(追い風)でしか進まなかったわけではなく、逆風(向かい風)でも進むことができた。
・ 少ない乗務員で航行できた。

弁財船の欠点
・甲板が水密(水が漏れない)構造ではなかった。甲板にははめ込み式の板が並べられており、板を外して貨物を入れた。貨物の積み込みには便利だったが、荒れた海では波が入ってきて浸水する危険性があった。

ちなみに、現在の日本国内の貨物輸送は自動車(主にトラック)が約5割、内航海運が約4割を占めていて、現在も海運は国内輸送の重要なインフラなんだ。
海運は貨物の長距離・大量輸送に適していて、国土交通省はトラック(自動車)による貨物輸送を環境負荷の小さい船舶や鉄道に転換する「モーダルシフト」を推進しているんだ。

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