偉人

河村瑞賢の生涯と業績 その2

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西廻り航路の整備

幕府は出羽の御城米輸送を御用商人である正木茂左衛門と伊勢屋孫右衛門に請け負わせていた。しかし、商人請負制であったため、彼らは運送費を抑えようと、しばしば安全面に配慮しない無理な航海を行ったため、海難事故が多かった。

幕府は瑞賢の東廻り航路の整備を高く評価し、この出羽の御城米輸送を瑞賢に命じた。

瑞賢が航路の整備に取り組む以前は、出羽の最上川流域から集められた御城米は非効率な方法で江戸まで輸送されていた。最上川を川舟で運ばれた御城米はまず酒田に集められ、海路で酒田から敦賀に輸送され、敦賀で陸揚げされた。敦賀で大八車や荷駄(馬)に積み替えられた御城米は、琵琶湖北部の塩津に運ばれ、そこで舟に積み替えて琵琶湖を縦断して琵琶湖南部の大津に運ばれた。さらに大津から桑名まで陸送され、桑名から江戸に海送された。

瑞賢はこの非効率な御城米の輸送を改善するため新たな航路を設定した。また、東廻り航路と同様に御城米の輸送を商人請負制から幕府直営制にし、寄港地に立務所を設置した。

志摩菅島の白崎山では毎晩烽火をあげ、船の目標とした。

下関海峡では岩礁が多く、入港が難しいことから、水先案内船を備えた。

1672年5月2日に酒田を出発した廻船は、下関経由で7月に江戸に到着した。その後、西廻り航路は御城米だけでなく、東北地方の諸藩の御蔵米の輸送にも利用されるようになり、江戸時代の重要な物流ルートの一つとなった。

以前の経路と比べると、西廻り航路はとても遠回りのように見えますが、どうしてこっちの方が良かったのですか。

一見すると以前の経路の方が良さそうに見えるけど、実際には非常に手間と時間がかかって効率が悪いんだよ。

まず、大八車や荷駄では運べる米俵の数は船に比べるととても少ないんだ。また、何度も船からの荷下ろしたり、船へ荷物を積み込んだりすると、手間と時間がかかるうえに、米が傷んでしまうんだ。

海運のメリット

  • 大量の貨物を輸送できる
  • 輸送コストが安い
  • 長距離輸送ができる

そもそもどうして酒田から津軽海峡を通って太平洋側に出ないんですか。その方が距離が短いと思います。

酒田から北に進み、津軽海峡を通って太平洋に出る航路は、西廻りよりも距離は短いけど、太平洋側を北に向かう黒潮に逆らって進まなければならないこと、東北の太平洋側に良い港がないことなどの理由から酒田から西に進む航路を整備するに至ったんだよ。

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